羨ましがったり自己嫌悪に陥ったり立ち直ったり。

こんにちは、Otamaです。

 

次女は今日もいつも通りリビングで一日を過ごしています。

私は、次女との時間と空間は笑顔で元気に楽しく過ごすことに努めるようにしています。

でも私が仕事から帰ってきても次女はまだパジャマ姿でソファに横たわりスマホを触っているのです。

そんな姿を見ると、やっぱりいろんな言葉が頭に浮かぶのです。

 

学校の課題は終わってる?

少しは勉強したら?

自分の部屋、少しは片づけたら?

 

次女に言いたい言葉を飲み込みながら、

 

この子はこのままでいいのだろうか。

甘やかしすぎたのだろうか。

私自身が知らないうちに彼女にプレッシャーをかけていたのだろうか。

どこで間違えてしまったんだろう。

なぜもっと早く気付いてあげられなかったんだろう。

 

答えにたどり着かない疑問が頭の中を堂々巡り。

 

普段はなにかと次女を褒めるようにしています。

次女に自信の水を注ぎ込みながら、私の心は涙で溢れそうになるのです。

愚痴も言いたいけれど言えない。

 

本来ならそういう子育ての愚痴は一番身近である夫に相談するのでしょう。

でも私は夫には子育てのことで相談することはほとんどないのです。

相談したところでなにも返事はないし助けもないから。

いつからでしょう、期待をしなくなったのは。

いや、昔からです。

長男のころからずっと。

夫は子供に対してはそれぞれ関係は良好であるから、それはそれで良しとしています。

相談はしないけれど、子供のことで、こんなことがあったという報告的なものは聞いているのか聞いてないかは別として、一応することにしているのですが。

 

夫なんてそんなものだな。いや、我が家だけかもしれませんが。

 

夫婦で一丸となれる家庭がうらやましいです。よその家庭や夫婦のことを考え始めると

、次女のことだけでなく、だんだん夫に対する愚痴もどんどん湧いてきます。

 

そんなことを考えながらキッチンで洗い物をしつつカウンター越しにソファの次女を眺めていました。

 

次女にとってこのリビングは心地の良い場所。

 

でも私は自分の部屋を持っていないので、仕事帰りの少しの時間でもいい、このリビングで一人の時間を過ごしたいのです。

日頃、あほなことを言うおもしろい母親でやらせてもらっているけれど、泣きたいときもあるのです。

 

twitterでフォローさせてもらっている方の中に、同じように心が壊れそうなお母さんたちがたくさんいらっしゃいます。

みんな吐き出せる場所をさがしているのでしょう。

彼女たちのつぶやきを読んでいると、その痛みがひしひしと伝わってくるのです。

 

なんでうちの子だけ?

 

学校に通える子供たちをうらやましく思ってしまうのです。

その気持ちも同じ。

あぁ、本当に私はいろいろ羨ましがってしまうんだなぁ。

自分が嫌になります。

 

始業式が延びてまだ夏休み中の次女ですが、あと一週間で学校が始まります。

 

あと一週間・・・

 

そう思うとまた私は苦しくなるのです。

 

ふぅ・・・、とため息をついてダイニングテーブルの椅子に腰かけると

 

「お母さん、これ見て。」

次女がタブレットを見せてきました。

「絵、描いたん?めっちゃええ感じやん。」

カフェの風景のイラストでした。

次女はどちらかというと、いつもは人物(ゲームなどのキャラクターなど)を描くのが多いので

 

「こういうのめずらしいね?」

 

と次女にいうと

 

「コンテストに出そうと思って。」

 

と、言いました。

 

意外な答えに

 

「めっちゃええやん!出し出し!すごい上手いもん!!」

 

と、思わず喜んでしまいました。

次女は次女なりに挑戦しようと思ってるんだと知りました。

きっと彼女なりに自分にできることを探しているんだな、と思うと、

 

あれ?

 

私はついさっきまで次女に対してネガティブな考え方しかできず泣きたかったよね。

どんどん愚痴がエスカレートして夫にも静かな怒りが湧いていたよね。

なのに次女の小さな挑戦の意思を知り、それだけで私はもう浮き立っているのです。

 

ソファでダラダラしていてもいいんだ。

次女のことを見守っていこう。

時々今日みたいにいろいろ不安にもなる日もあるけれど

私もまだまだブレブレの新米の不登校の母なのだから自己嫌悪に陥ったりもするさ。

 

でも忘れないようにしなければ、次女が次女なり自分のことを考えていることを。